この時期、毎年のように喉を傷める彼のために、カリンをつけた。
丁度、彼の誕生日の頃に飲めるようなタイミングで。
でも、結局その手には渡らず。
それを、春になって友だちに話したら、「こんないいものアイツにあげる必要ないよ。自分で飲めばいい」。バッサリとそう言った。
なんだか嬉しかったことを覚えてる。
あれから季節は巡り、味は深まるばかり。
あの時、渡せずに終わったのは、この美味しさを味わいなさいということなのかもしれない、と現金にも思ってしまう。
あの時渡せて喜んでくれれば、それも嬉しかったかもしれない。
でも結局は、彼を失ってもっと美味しくなったカリンシロップが手にはある。
なんだか不思議。
男女にはこうゆうことがよくある気がする。