先日、「流れに任せる」をリリースすると同時にやってきた文章を紹介します。
最近多いのが、何冊かの本を並行して読んでると、同じことが書いてある。ちょっと面白い現象です。
では、バグワン・シュリ・ラジニーシ(OSHO)「存在の詩」より。
タントラは「イエス」と言えと言う
あらゆるものに「イエス」と言え、と
闘う必要なんかないのだ
泳ぐことすらも必要じゃない
ただ流れといっしょに漂うのだ
〈川〉はそれ自身でひとりでに流れている
あらゆるものが必ず究極の大洋に至る
あなたはただどんな妨害もしないことだ
〈川〉を押し進めたりすることはない
ただそれといっしょに行けばいいのだ
〈川〉といっしょに行くというそのこと
〈川〉とともに漂うこと
〈川〉とともにくつろぐこと
それがタントラだ
先日は、流れに「任せる」と書いたが、それすらも、こちらの意思が見えかくれする言葉のように感じ、ただいっしょに行く難しさはイコール「明け渡す」難しさだと思った。
何かを目指しているわけではないので、がんばって「する」ことではないのだが、最近繰り返し現れるこの手のメッセージ。
少し、こころに漂わせてみることにする。