私がしたいことのひつであり、なかなか実践できないことのひとつがこれ。
以前より、少しできるようになってきたのだけれど、なかなか難しい。
思考でもって現実と戦う癖というのは、しっかりと染みついているらしい。
だから、気づいたところから委ねるようにしている。
これに関しては、バイロン・ケイティが素敵なことを言っている。
現実(リアリティ)というものは、欲求をもたずに展開し、想像を超えた美や豊かさ、絶妙な驚きをもたらします。
怒りや悲しみ、フラストレーションといったものは、私たちがあるがままの現実と戦っていることを教えてくれます。
私たちは欲しかったものを得たとしても、それが続いてほしいという願いはかないません。つづくことは不可能なのです。そして、人生は混乱に満ちた思考が投影されたものであるため、平和がありません。けれども、人生を水のごとく流れるままに任せれば、あなたはその水になります。そして、究極の人生を生きることができるのです。それは、あなたが必要とするよりも多くのものを常に与えてくれます。
どうだろうか?
ちょっと分からないというところがあったとしても、私には、すごく有益な言葉に思えた。同時に「さらっと言ってくれるけど、難しいんだよね」とも。
ただ、思考が「これはいい」「これは悪い(良くない)」「これは○○」と、よく働いて(ジャッジして)いる時には、この恩恵には預かれず、すこし弛んでいるくらいの時の方がちょうどのような気がする。
生きている限り、何かを判断したり、思考を働かせることはどうしても必要なのだけれど、自分の中にそうでない時があり、思考と非思考の両方を行き来できるといいなぁと思う。
流れに身を任せ、現実(リアリティ)と戦わない私は、どんな人生を見ているだろうか。
時々そんなことを思う。
参考文献:
タオを生きる
バイロン・ケイティ